めろろって誰

140文字じゃ、足りないことを。

ゆっくり生きること

私は「待つこと」が非常に苦手だ(った)。

 

 人と待ち合わせしていて、連絡なしに遅刻をされると凄く腹が立つ。自分が急いでいる時に、喋りや行動が遅い人がいると苛立って仕方がなくなる。目的にして行った店でも、待ち時間が長そうなら迷わず違う店を選ぶ。

 

 待てないのは日常の事だけではない。

 

 本当は学びたかった分野や行きたかった大学があったが、1年待ってもう1度受験するなんて自分には絶対無理だった。浪人する選択肢は一切なかった。

 就活を早く辞めて、早く茶髪に戻りたくて、他にも最終面接まで進んでた会社はあったが面接を断って、1番最初に内定が出た会社に就職した。

 元恋人達にも「俺が大学卒業するまで待っててください」とか、「俺が20歳になるまで待ってて」とか言われたけど私はそれまで待てなくて、破局した。

 

 最近も例示するにふさわしい事があった。

機種変更でiPhone11proにしたかったのに近所のショップにはコロナウイルスの影響でiPhone11も11proも在庫がなく、「予約をすればどちらも1週間で届きますよ」と言われたが私はその日にiPhoneを変えたくて変えたくてどうしようもなかったので、店を出てすぐ他の店舗に電話し在庫を確認し、ちょっと歩いて行くには遠い店舗にiPhone11はあったので雨の中を必死で歩いてiPhoneを替えに行った。

本当は11proが欲しかったしiPhone11に不満があるが

そのたった1週間が私には待てなかった。

 

ずっと、こうやって生きてきた。

別にこれでいいと思ってた。

でも最近大事な人間関係でいろいろあって、

「待てない自分」に酷く辟易した。

「今すぐ○○したい!」「今すぐ☆☆が欲しい!」

「♪♪に行くのは今日じゃなきゃ嫌だ!!」

では罷り通らない事もあるのだ。

世の中には仕方ない事もあるのだ。

その動作の対象に相手がいる場合は特に。

思えば今まで「待てない私」の我儘でいろいろな人を困らせてきた人生だった。

相手を困らせたし、それによって相手は離れていき最終的に自分も困ったではないか。

そういう事にやっと私は気づいた。

 

さっきから書いているが最近、人生で1番自省をする機会があった。

自分の今までの事をいろいろ深く考えてみた。

 

もっと物事を長い目で見れるようになりたいと

強く思った。待てないのはもう辞めようと思った。

 

「待てない私」を殺す事の他にも、いま私はいろいろと自分の性格のダメな部分(自分自身を生きづらくせしめている部分)を改めようと試みている。

最初はやっぱり結構苦しかったりもするけど、徐々に慣れてきてはいる。

 

これも同じだ。

長期的な視点で物事を見れるようになろう。

半年後、きっと私は生まれ変わっているんじゃないかな。