めろろって誰

140文字じゃ、足りないことを。

忘れたい事と、忘れたくない事

年齢を重ねるごとに季節の節目に疎くなっていく。時の経つスピードは昔より明らかに早く、今年もあっという間に大晦日が来たという事実をSNSの投稿や年末恒例の特番なんかで気づかされる。年が変わる事に対し正直、無感情だが折角時間もある。書きたかったけど書いてなかった2つの事をテーマに書いてみる。



①2019年の始まり方は最悪だった。

仕事始めの前日に会社全体の新年式典があった。その帰りに同期数人と先輩数人でカラオケに行った。気づいたら同じ部屋に絶縁されたはずの元彼(同期)が座っていた。私があいみょんを歌ってるとき、彼はずっとカラオケの画面を凝視していた。怖かった。

部屋を出ろよ。サイコパス過ぎないか。

夏の終わりの水曜日、私が電話で「仕事で疲れてるからって謝りもせずドタキャンって常識ないよ!!もっと言い方があるだろ!!」と言ったら「もう全部俺が悪かったよ!」って逆ギレして電話を切ってそこで全てを終わらせるという一方的な絶縁を強いてきたくせに、どんな感情で私が確実に居るとわかるあの場に来たのか怖くて仕方なかった。来たにしても、携帯を見るとか、やっぱり帰るとか、トイレに行くとかいくらでもできただろうになぜ画面を見て私の歌唱を聴いていたのか。サイコパスさが怖くて仕方なかった。会社行事や同期での集まりのたびにこんな思いしなきゃいけないかと怯えていたので、彼が3月末付で退職した時は心底ホッとした。嬉しかった。もう恋愛で人を狂わせて自分も狂って大事な事を見失うのは辞めようと思った。周囲を気まずくさせ、当事者同士は他人に戻って友達だった時間すら無に還るような、「恋愛」とはあまりに馬鹿げた行為だと思った。



でも次に恋愛をするときは、しっかり過去の失敗を活かしたいと思った。一生幸せになりたいし、相手を一生幸せにしたいと思った。そんな風に思える相手に出会いたいと思った。これについては今回書かないが「そんな風に思える相手」は凄く遠くて、それでいて凄く近い場所にいた。みつけた。



②5月半ばに父方の祖母が死んだ。

私の祖父にあたる人と早々に死別し、父親の兄と2人で暮らしていた。昔は農家をしていて、小学校の時はよく一緒に畑に行った。

いつからか足を悪くして6〜7年寝たきりだった。強制的に年に3回くらいは見舞いに連れていかれたけど、自分の祖母なのに何を話したらいいかわからなくて苦痛だった。あの無言の空間が気まずかった。もっと、元気な時にたくさん話して関係を築いておけばよかったなと後悔した。

死んだ日は無感情だったが、いざ通夜に行ったら誰よりも泣いてしまった。遺影の写真は60代前半の若々しく美しい、私と野菜を採っていたあの頃の祖母の顔で余計に悲しくなった。父親に通夜の受付をやれと頼まれていたが涙が止まらなくて無理だった。翌日の葬式の日の料理は今までの人生で食べた事ないほど豪華だった。金銭感覚がイカれた父親三兄弟が、やっと介護から解放され選んだ料理だ。あまりにも立派なものだった。

最後に火葬場で骨だけになった祖母の姿と、「ここは○○で、ここは○○の骨です」と淡々と機械的に説明する火葬場の職員と、「ほら○○(弟の名前)見てみろ!お前も持つか?」と笑いながら頭蓋骨を持ちあげ、職員に指示された通り骨壷に納骨する父親と、骨のある所から離れて1人で焼き場の部屋の隅の椅子に座って頭を抱えていた弟。私はもう限界だった。関わりの薄かった祖母の死でこんな気持ちになるなら、関わりが濃い人間が死んだ時私はどうなるんだろうと怖くなった。

家族とコミュニケーションを取るのが苦手だけど、こうやって死んでから後悔するのはもう嫌だから血縁者である以上もう少し頑張って家族と関わろう、とこの時は思った。


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昨日は鬱気味でよくわからない時間に寝て、数時間で目が覚めた。窓から射し込む僅かな日光と、エモそうだからなんとなく流しているアジアンカンフージェネレーションのメロディー、なんとも言えない年の瀬。



願わくば、明日から始まる年の最終日は今年に出会って人生で1番の経験をたくさんさせてくれたあの子と過ごしたい。



書いたこれを来年末また読み直したい。

もう少し寝ようかな。それとも起きようかな。